Dr.森田の医療・介護お悩み相談室

1971年横浜生まれ。経済学部卒後、医師に。夕張市立診療所の元院長。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だったよ!医療費も減ったよ!と論文やTEDxで発表したところ各界から総スカンを食らう。今は鹿児島県で診療・執筆・講演・研究・web発信などをしている。南日本ヘルスリサーチラボ代表、鹿児島県 参与(地方創生担当)

森田洋之のプロフィール

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1971年、僕は横浜で生まれました。

海沿いを走る京浜急行の金沢文庫とか金沢八景とかあの辺りです。

当時その周辺はまだ裏山や畑があり、比較的のんびりしていました。

裏山の小さな池でザリガニ釣って帰る途中、知らない農家のお爺ちゃんが畑の横の湧き水を飲ませてくれたのを今でも覚えています。

 

 

親や親族に医師や医療従事者は一人もいません。

そんな中で僕が医師になれたのは、偶然というか何というか…。

 

 

一橋大学にいた当時、僕は公認会計士になろうと思っていました。

先輩や同級生はみんな(そのうち後輩たちもみんな)続々と大企業や官庁に就職していくわけですが、その渦中にありながら、「多分そういう組織の中で生きていく生き方は自分にはつとまらないだろう」と、「多分サラリーマンになっても一年ともたないだろう」と、まあ今の自分をよくもそんなに的確に予想したもんだな、と感心するくらいのズバリの予想をした結果、「資格を取ろう!」と思ったんですね。

それで、簿記や会計学の勉強をするんですが…これがまったく性に合わなかった(笑)。

 

いや、マクロ経済学の考え方とかは面白かったし今でもかなり役に立ってますが、簿記とか細かい仕分けとか原価計算とか全然面白いと思えなかったのです(とはいえ、その時少し勉強したことも今の事業の経理とかでかなり役立ってますけど…)

 

勉強なんかまったくしない、就職活動もしない、ダラダラした時期が長く続き、それでも卒業の単位は取れちゃった。でもダラダラしたいのでゼミの教授に頼んで卒論だけ書かずに卒業を保留。家賃1万円(水道光熱費込み)の学生自治寮でダラダラと留年を繰り返し、4年で卒業できるところを結果として6年で卒業することになります。

 

 

阪神淡路大震災がおこったのは僕が一橋5年目の1月でした。

貧乏学生だった僕は、単純にワリのいいバイトとして仮設住宅の建築現場に入ります。

自分たちの寝床も自分たちで仮設して、夜はみんなで酒飲んで寝る、みたいな昔でいう「飯場」のような現場でした。

肉体労働で真っ黒に日焼けしたおじさんたちに混じって、一日中汗水たらしながら楽しく笑いながら働いた経験は、ぼくにとって素晴らしい財産になったと思います。

東京に帰ったりしながらですが、1月の震災から夏休みの西宮高校の仮設校舎の建築まで居たのでトータルで半年ほど現場ににいたことになります。

そんなことをしているある時、ある方から医師の道を勧められました。多分、一橋大学の学生が飯場でブラブラしているのを見てなんの気なく言われたのだと思いますが、当時の僕は「あ、そうかー、医師も資格職だし、しかもあと6年ダラダラできるなー、好きなバンド活動も出来るなー、将来はDr.コトーみたいな島暮らしもいいなー」なんてひどくよこしまで甘々な気持ちで医師になろうかな、と思ったのでした。

当時25歳。今考えるとのんきな馬鹿ですね(笑。

 

 

ちなみに、父は医学部受験に大反対でした。

父も変わった人で、子供達が大きくなった、大学も終わる。

僕が20歳のとき母は胃がんで死んでいるので、父は気楽な独り身です。

じゃ、脱サラして書道の先生になろう!って言い出して脱サラしたばっかりの時期。

そんな時25歳の息子が「やっぱり医学部にする」なんて言い出したら…。まあ怒りますよね(笑。

 

で、運よく一橋6年目の年に宮崎医大に合格して、6年後に卒業して、ただ6年間予定通りバンド活動ばっかりしてたので国家試験は1年遅れて合格し、研修医も終わり、宮崎で出会った妻と結婚し、子供が生まれ、内科認定医を取ったところでまた変な病気がでて、突然「夕張に行く!」と言い出したわけです。

 

ちなみに妻は非医療職で、宮崎県以外に住んだことがない生粋の宮崎人。

義父母とほぼ同居生活でうちの子は初孫。

その子がまだ2歳でしたから、それはまるで「マスオさんが突然サザエさんとタラちゃんを連れて北海道に引っ越しちゃった」ようなものです。

義父母にも迷惑かけました。…なんかこう書いてると、ホントにやりたい放題の人生ですね…(笑)

 

 

夕張に行こうと思った理由の1つに「自分への負い目」があります。

それまで僕は自分の医療知識を深め医療技術を磨くことこそが「善」だ、と思っていました。

そうすることが患者さんのためになることだ、国民の幸福に貢献することなのだ、とまったく疑っていなかった。

 

しかし、療養病院の大部屋で、ただただ白い天井を見つめたまま寝たきりの高齢者がずらっと並んで胃ろうから栄養を入れられている光景を見た時、それまで自分が磨いてきた胃瘻造設術などの医療技術や医学的知識が「善」に思えなくなってしまったのです。

みなさまの税金を使って国立大学に12年も通わせていただいたのにもかかわらず、自分のやっている医療が国民のみなさまの幸福に寄与していると思えなくなってしまった。

これは本当に辛かったですね。

医師をやめてラーメン屋でもやろうかな?って本気で考えていました。

 

 

ちょうどその時、同じ病院で働いていた同僚の高野医師が、超高齢で老衰としか言いようのない患者さんに対して栄養療法をせずに少しの点滴だけで看取ろうとしていました。

彼は、医学生時代一緒にバンドをやっていた同級生で、研修病院もずっと同じでした。

 

僕は彼に言いました。

「胃ろうとか中心静脈栄養とかで栄養入れなきゃ死んじゃうんじゃない?」

 

彼は言いました

「老衰なんだから、それでいいんじゃない?下手に栄養とか水分とかを入れすぎると、逆流して肺炎になったり、体がパンパンにむくんだりしちゃうし。」

 

「そうかもだけど…でも上の先生たちもそんなことしてないし、ご家族から訴訟とかされないか?」

 

「ないない。しっかり家族の気持ちを聞いて、こっちも説明して信頼関係を作れば。いまは逆に感謝されてるよ。」

 

 

当事の僕は、彼のやり方に衝撃を受けました。

「病院医療の常識」に囚われて、医者は「標準的な治療」をしてさえいればいいのだ、と患者さんやご家族の気持ちに向き合うことから逃げていたのは僕の方だったのです。

もしかしたら、「ただただ白い天井を見つめたまま寝たきりの高齢者がずらっと並んで胃ろうから栄養を入れられている」あの光景は、そんな僕の「逃げ」の気持ちの延長線上に続くものだったかもしれないのに。

 

でも、僕はすぐには彼のようになれませんでした。

まだまだ「病院医療の常識」の世界観から抜け出せなかった。

そんな悩みの中にあったときです。僕は、夕張の財政破綻・病院閉鎖後の医療を請け負った村上智彦先生が、予防医療や終末期医療など、病院医療に頼らない真の患者中心の地域医療を展開しているという話を聞きました。

 

僕がいまだに囚われていた「病院」の世界、それがなくなった街はどうなってしまうのか?また、経済学部出身なので「財政破綻後の世界を見てみたい」という興味本位、「財政破綻・病院閉鎖の前後のデータを比較してみたい」という密かな思惑もあり…、その結果、サザエさんタラちゃん(実はそのころタラちゃんの下に生後4ヶ月の赤子も居ました)を連れて夕張に行っちゃった!そんな感じだったのです。

これは医師の世界でよくある大学派遣の「医局人事」とかとはまったく違う、僕の勝手な自己判断で村上先生に頼み込んだ結果の、フリースタイル就職です。

 

 

夕張での医療は本当に毎日が目からウロコでした。

それまで培ってきた「医学的正解に基づく病院医療」の世界が、ことごとく打ち砕かれるのです。

いや、「医学的正解」はそのまま変わらず厳然としてあるのですが、それを現場にどうやって落とし込むのか、そこには「正解がない」ということに、初めて気付かされるのです。

 

 

たとえば、90代でアル中の男性。肝臓も肺もボロボロでもう限界なのに、自宅で朝から焼酎飲んでる(笑)。

それまでなんとか外来に通えていて診察室ではそれなりに「よそいき」の顔を繕っていた爺ちゃんでしたが、訪問診療に切り替わって自宅に足を踏み入れた瞬間、この事実を知ることになるのです。

もちろんこれ、医学的に言えば完全にデタラメ。「すぐ入院!お酒もやめて治療しましょう!」って、それまでの僕だったら言ってたかもしれません。お行儀のいい患者さんならそのまま入院していたかもしれません。でも、その入院治療に「医学的正解」はあっても「その人の人生にとっての正解」も「医師・患者間の信頼関係」もないんですよね。

爺ちゃんはこう言いました。

「95超えてんだから検査したら何かあるに決まってる。血なんかとらなくていい。入院もしない。じゃ、何か?検査したら、入院したら、ピシャっと治って100m走れるようになるのか?俺はどこにも行かない。最期までここにいる。」

 

そう、僕はこの時点ではまったく爺ちゃんに信頼されていなかった。

これまで生きてきた爺ちゃんの人生に思いを馳せることが出来ていなかった。

多分「入院させて、禁酒させて、俺のことをがんじがらめに縛り付けにきた鬼」くらいに思っていたかもしれません。

 

じゃ、どうする?

 

こうなるともう僕が頭に貯め込んできた「医学的正解」なんて何の役にも立たない。 しっかり話を聞いて、患者さんの思いを理解して、「信頼関係」を築いて行くしか道は残されていないのです。

 

自分が磨いてきた「医学的正解」という刀を一切使わず、丸腰で、設備もない、何も出来ない、いや何もすることを期待されていない自宅で患者さんを見守ること、これが非常に『怖かった』のを今でも覚えています。

 

その後しばらくして、爺ちゃんはそのまま自宅でお亡くなりになりました。最期までちびちび焼酎を飲んでいました。

 

何が正解だったのでしょう?

それは今でもわかりません。

 

でも、少なくとも僕がかつて信じていた「病院医療の常識」や「医学的正解」がその爺ちゃんの現場でほとんど意味も持たなかったこと、それだけはわかりました。

その時僕は、医師になって初めて死亡診断書に「老衰」という文字を書きました。

 

「医学的正解」と「その人の人生にとっての正解」。この2つを現場ですり合わせること。「医師・患者間の信頼関係」をベースにして、この2つをすり合わせながら現場で悩むこと。このことの本当の価値がわかるまで、字面ではなく心の底から理解できるまで、3年くらいかかったような気がします。毎日毎日、現場で打ちのめされながら…。

 

夕張の師匠・先輩の村上先生・永森先生は地域医療・へき地医療の経験がすでに長いので、そのレベルのところはとっくにクリアしているわけです。

 

先生たちはそれをわかった上で、そういう患者さんたちが自宅でも施設でも入院でも、どこでも生活を継続できるように、有床診療所・在宅療養支援診療所・老健・訪問看護ステーション・24時間の訪問介護などのシステムを作ることに奔走されていました。

 

結局、一度宮崎に帰ったりしながらも約4年間夕張の皆さんにかかわらせていただき、その間、村上先生・永森先生のご厚意で夕張から東京大学大学院の研究ユニット(H-PAC)に毎週通わせていただいて夕張の医療費・医療体制変化の研究をしたり、最後の年は院長職を経験させていただいたり、とてもいい経験をさせていただきました。

 

この4年間で経験した夕張のデータなどは拙著「破綻からの奇蹟〜いま夕張市民から学ぶこと〜」で詳しく語りましたが、ま、簡単にまとめますと…

 

 

夕張の財政破綻・病院閉鎖前後のデータを比較したら、

 

◯市内の病床数は171床から19床に激減したにも関わらず、夕張市民の総死亡率は変わらなかった。

◯病死は減った。その代わりに老衰が増えた(だから市民が健康になったということではなく、これは診断する医師が医師と患者(家族)の信頼関係を築いて「老衰」と診断できる医師に代わったため)

◯救急出動が半減した。

◯医療費も減った

 

その下地には

・「予防と天命を受け入れる市民の意識改革」

・「高齢者の生活を支える医療・介護の構築」

・「高齢者の生活を支えるきずな貯金(Social Capital)」 の存在があった。

 

というところです。

 

でも、よく考えると変ですよね。

◯市内の病床数は171床から19床に激減したにも関わらず、夕張市民の総死亡率は変わらなかった?

 

病院があってもなくても健康には影響はないのでしょうか?

 

東京大学で夕張のデータを研究しているとき、僕は医師人生2回目の衝撃に出会います。

なんと、医療経済学の世界ではこの疑問はすでに研究しつくされていて、一定の結論がでていると! その結論とはだいたいこんな感じです。

 

多くの研究の結果、「病院の存在や非存在」と住民の「死亡率(SMR)」のあいだに因果関係はないことが分かっている。病院が開院しても閉鎖しても、人々の健康状態はよくも悪くもならない可能性が高い。

例えば以下のような研究があります。

◯メディケア(米国の公的医療保険)登録者の20%に及ぶ膨大なサンプルデータと全米の病院資源の分布の関連性を分析した研究。人口当たりの病床数には全米で最大2倍の格差があり、病床の多い地区の住民は入院する可能性が最大30%高かった一方、死亡リスクにはまったく関連していなかった。この傾向は人種や所得グループで一貫していた。
"Associations among hospital capacity, utilization, and mortality of US Medicare beneficiaries, controlling for sociodemographic factors."
E S Fisher, et.al, Health Serv Res. 2000 Feb; 34(6): 1351–1362.


◯同じく米メディケア登録者のサンプルデータと地域ごとの医療供給量の関連性を分析した研究。地域により医療供給には4倍の差がある一方で、その差は死亡率や入院率などの健康指標には殆ど影響していなかった。
"Physician impact on hospital admission and on mortality rates in the Medicare population."
Krakauer H, et.al, Health Serv Res. 1996 Jun;31(2):191-211.

 

 

 

これ、まさに夕張の実例そのものじゃないですか。

しかもその時、医療費についてもこんなグラフも提示されました。

 

 

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都道府県別「人口あたり病床数」と「県民1人あたり入院医療費」

 

 

このグラフは、日本の医療の現場では事実として県によって人口あたりの病床数が2〜3倍も違うし、同時に病床が多い県ほど県民一人あたりの入院医療費を2倍も使っている、ということを教えてくれます。

これを提示され「病床が減ったら医療費が下がるのは当たり前じゃないか」と言われたのです。

そして、先程の「病院の存在」と「住民の死亡率」に因果関係がないという説のとおり、これだけ病床数に違いがあるのに、病床が多い県ほど死亡率が低いわけではないことも分かっています。

 

また、このグラフを見ると、識者の多くは「病床の多い地域は介護需要の多くを病院医療で肩代わりしている傾向がある。つまり医療費は高いかもしれないけど介護費は安くなっている可能性がある」と言われます。でも、実際にはこのグラフのとおり、医療費の高い県は介護費も高い傾向にあります。

 

 

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出典:内閣府・社会保障ワーキンググループ 「医療+介護」の「見える化」について② http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/280408/shiryou5.pdf

 

 

「病院」の存在は人々の健康にはたいして影響しないのに、数が多ければ多いほど医療費が増える?

 

僕は本当に衝撃を受けました。

だって、医療費の問題やら医師不足の問題やらいろいろ言われているのに、その解決策はすでに見えているではないですか。

 

でも国民の殆どはそれを知らない。

世界一の病床数とCT/MRIを持っていて外来受診も世界2位。それほど医療の供給量が多い国、それでも国民の健康度には関係ない。その日本のなかでも県によって医療の供給量もまったく違う。その状況で叫ばれる『医師不足』や『医療費問題』って、果たして意味があるのでしょうか。

そもそものシステムのデザインが間違っているのではないか?

これを知った時はこれまた本当に辛かったですね。

それまでは、『医師として目の前の患者さんに対して全力を尽くしていれば、必ず国民全体の健康と幸福に寄与することになる』と信じていたのに…システム全体を見れば決してそうでもないことが分かってしまった…。

この時、僕はまた医師をやめてラーメン屋でも始めようかな…とは思わずに(笑)、今後はこの事実を『伝える』仕事に重きを置こう!と思うようになりました。

 

僕はその後いろいろな医療の姿を学びました。その中でもヨーロッパ(特に英国)の「家庭医療」と宇沢弘文先生の「社会的共通資本」には非常に感銘を受けました。

 

イギリスでは夕張で行われていたような地域密着・患者中心の医療が、「家庭医療」と言う名で国全体に広がっていたのです。

そこでは、医療機関の利益中心ではない「公的」な医療が行われ、いきなり総合病院・専門病院には行けない(国民全員が登録しているそれぞれの家庭医からの紹介がないと大きな病院にかかれない)にも関わらず、90%の国民が「家庭医」の診療に満足しているということでした。

一方多くの研究で、総合・専門病院への受診が容易な日本人の医療への満足度が実は非常に低く、医師への信頼も低いことが示されていました。

また、「医療は社会的共通資本であり利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない」という宇沢弘文先生の主張は、夕張の実践とも共通項が非常に多く、僕の理論的支柱となりました。(詳しくは以下を御覧ください)

  ↓ ↓ ↓

  

 

 

今ぼくは、ご縁を頂いて九州の鹿児島県で、執筆・講演活動をしたり、ほんの少しですが行政の仕事をしたりしています。

 

もちろん今でも救急医療・在宅医療の現場に出ることも多くあります。その中で、この病院は素晴らしい医療をしているなー、と思うこともあります。

 

若い人の急な病気や怪我、急ではないけど重い症状の方など、そんな時に今の医療は大きな意義を持っています。

 

一方で、今の在宅医療はもちろん、救急医療でさえ、患者の大半は高齢者です。

そしてその高齢者の方々の殆どに笑顔がない。たとえ笑顔がなくても、報酬要件を満たし収益が発生するかぎり医療・介護サービスの提供は何の疑問もなく継続されていきます。

 

そんな診療の中では疑問を感じることも、問題点を見出すことも多々あります。

 

…という感じで、現在「いまここ」に至るわけです。

 

 

そんな日々の診療での疑問や問題点、また医療・介護・地域社会に関する諸問題を、現場のミクロ視点とシステムのマクロ視点の両者をしっかり見つめる立場を貫きながら、これからも発信していきたいと思っています。

 

 

 

 

追記1 ちなみに、同じ病院で働いていた同僚でバンド仲間の高野医師は、その後同じくバンド仲間(女性ボーカル)の彼女と結婚し、今は一家で夕張市内に転居し男児4人の子育てをしています。もう夕張に住んで6年目。僕よりも、師匠の村上先生よりも長くいることになります。すごい男です。

 

追記2 高野夫妻と組んでいたバンドの音源はこちら iTunes で聞けます(買えます!)
iTuines → https://itunes.apple.com/jp/album/her-abiding-memory/305646280  

こちらは無料Youtube視聴 → 

https://www.youtube.com/watch?v=qO_SvMceYgM

 


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