Dr.森田の医療・介護ブログ

地域医療・家庭医療の医師&医療経済ジャーナリスト、Dr.森田が綴る医療・介護のブログです。







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「自己責任論」と共に蔓延する「社会的排除」と「分断化社会」の闇は、すでに日本を大きく蝕んでいる。

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 安田純平さんが無事帰国されました。おめでとうございます。心から「よかったね」と伝えたい気持ちでいっぱいです。

 

 また同時に、TwitterやFacebookなどのネット上で見かかる「自己責任論」について、日々医療の現場に立っている身としてとても違和感を感じています。

 

 今日はそのあたりのことを「社会的排除・分断化社会の実情」の紹介を絡めながら語ってみようと思います。

 

 


さて、医療関係の「自己責任論」で思い出すのは数年前に炎上した長谷川豊氏の「透析患者は自己責任だ」というブログですね。

 

Wikipediaによるとブログタイトルは

 

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」。

 

お〜、今見てもかなり過激な内容ですね・・。この事件を機に彼はTV番組のレギュラーがすべて降板になったみたいです。


まぁつまり、長谷川豊氏の論も、今回の安田さんを批判する論調についても、いわゆる「自己責任論」が主張するところは、

 

「勝手に飲み食いして糖尿病、で人工透析→自己責任だから自分でなんとかしろ」

 

「勝手に危険なところに行って危険な目にあった→自己責任だから自分でなんとかしろ」


という論理だと思います。

これ、いかにも「理にかなっている」ように思えなくもないのですが…。

 

でもその先の社会の行く末を想像すると意外にゾッとします。というのも、この「自己責任論」の影には「自分たちは安全圏で、あの人達は別枠の人」と言う意識が甚だ大きく見え隠れするからです。

 

おそらく「自己責任」を主張している方々は少なくとも、自分が近い将来人工透析患者になるとは想定していないでしょうし、また「自分が近い将来中東に取材に行く」とも想定していないでしょう。つまり、彼らは「人工透析になる人」も「中東に取材に行く人」も『自分たちとは別枠の人』と壁を作ってラベリングしているわけですね。

 

この「当事者意識の欠如」という病理とその延長線上にある社会は、特に医療・介護の分野では甚だ大きな問題を内包することなります。

 

というのも、そもそも日本の医療・介護の世界は、「みんなでお金を出し合って、病気や要介護状態になったすべての人を救済しよう」という趣旨の世界です。ここ、とても重要なのですが、日本の医療・介護制度は、その病気は自分の責任?誰の責任?何が原因?とかそういうことを一切問いません。国民皆保険制度や高額医療費制度など、世界の奇跡と言われる日本の医療制度の基本にはこうした「お金にかかわらずみんなを救済しよう」という「社会的寛容」の精神から出発しています。

 

(蛇足ですがその意味では、昨今政府や一部民間企業が進めている『メディカルツーリズム』は真逆の精神から出発していると言っていいでしょう。なぜならそれは「高額の渡航費と治療費を払える人しか救済しない」と言っているに等しいからです。が…今回はこの論点は置いておきます。)

 

言うまでもありませんが、「自己責任論」は、この日本の医療・介護の精神の反対にある概念です。「それはお前の責任だから自分でなんとかしろ」という概念が「原因や責任を問わず救済する」という概念と正反対に位置するものであることは説明の余地が無いでしょう。

 

そしてその「自己責任論」の基礎にある「自分たちは別枠の安全圏」と意識、「当事者意識の欠如」と言う病理は、すでに社会を大きく侵食しつつあります。昨今の報道でもこれ徐々に押し寄せる津波のようにジワジワと社会に押し寄せていることがわかります。

 

LGBTは自分たちの社会とは別枠の人で生産性がないから◯◯

重度障害者は自分たちの社会とは別枠の人で、生きてても意味がないから◯◯

いじめられてる子供は普通の子とは別枠で、いじめられる側にも責任あるから◯◯

 

こうした報道は数えればきりがありません。

このような論調の背景には共通して「彼らは自分たちとは別枠の人たち」というラベリングによる「排除」と、ラベリングされた人たちに対しては◯◯してもよい、と言った「非寛容」の精神が、おそらく言ってる本人たちには無自覚のうちに(ある意味正義を主張しているかのごとく)展開されているのです。

 

また、想像していただければ分かると思いますが、こうした「自分は安全圏だけど彼らは別枠の人」というラベリングの進展は、地域社会における心の壁を高くして、社会を徐々に分断化・孤立化させていきます。

 

こうした「社会の分断化・孤立化」の静かな潮流は、地域社会の中で現実としてかなり広まってきており、特に高齢者医療・介護の世界において深刻な影を落としています。

 

しかも悲しいことに、その潮流は「社会的寛容」の代表である「病院」を利用して広まってしまっているのです。

 

 

それがよく分かるのがこのグラフ。これは、10月30日に開催された財務省「財政制度分科会」で発表されたものです。

 

 

 

 

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出展:財政制度等審議会 財政制度分科会 議事要旨等 平成30年10月30日 資料2

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia301030/02.pdf?fbclid=IwAR3_cgNYldjq9eH_HTQeaybRZ8tixOw1u5J9m4v6LnrdmpQJ0l9rJ4dFn2s

 

 

これを見ると、県民一人あたりの入院医療費が多い県と少ない県では1.8倍の差があることがわかります。高知県民一人が一年に使う入院医療費は静岡県民一人が使う入院医療費の1.8倍ということです。しかもそれは病床数の多寡に相関している。

 

え?高知県民ってそんなに病気になるの?……いやいや、そんなわけありませんよね。

 

手術や救急医療、ICU(集中治療室)医療など本当に高度な治療が必要ないわゆる「急性期疾患」の有病率に各県でそんなに差があるわけがありません。おそらくこの差の多くの部分は高齢者・精神/身体障害者などに対する「慢性期医療」の差でしょう。

 

なぜ慢性期医療なら差がつくのか…。

 

それは弱者に対しては「社会的排除」が容易だからです。 

 

 

 そしてその弱者とは、あなた達が「自分は安全圏だけど彼らは別枠の人」とラベリングした人たちのことです。

 

弱者認定のラベルにはいろいろあります。高齢者・身体障害者・精神障害者・発達障害者…これらの人々をラベリングして別枠にしておくと…社会から排除して山奥の施設に閉じ込めておくと…医療・介護が限度いっぱい無尽蔵に提供されていくのです。それは、「定員いっぱいに埋めないと潰れてしまう民間病院・施設」も遠因ですし、また「弱者の方からは自己主張をしにくい」と言う背景も影響しているでしょう。

 

しかもこの「社会的排除」はあなた達が「別枠」と考えているがゆえに、僕たちの見えないところで進行します。

 

 

その画像がこちら。

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こちらは比較的元気な頃から入所する介護施設。f:id:mnhrl-blog:20181106235513p:plain

 

 

 

こうした「社会的排除」が限度(病床数・施設枠)いっぱいまで行われるわけですね。というわけで、前掲のグラフにおける各県の差が生まれるのでしょう。

 

(再掲)

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ちなみに、日本一病床が多く入院医療費の高い高知県は介護施設が不足していてそれを病院医療で補っているから仕方なくこうなっているのでは?という推測もよく聞くのですが…事実はこのグラフの通り、「高知県は入院医療費も高ければ、介護費も高い」というトホホな内容です。

 

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内閣府・社会保障ワーキンググループ 「医療+介護」の「見える化」について②

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/280408/shiryou5.pdf

 

 

 

 

 

え…?高知県って病床数も医療費も介護費も全国トップなの?何やってんの?

 

 

って、今、高知県民を「別枠」で考えませんでした?

自分たちは「安全圏」にいるつもりで!

 

いやいや日本人全員、安全圏じゃありませんよ。

 

 

なぜなら、 

日本で一番病床が少ない神奈川県・埼玉県でも、アメリカ・イギリス等主要先進国の2〜3倍の病床数を持っている

 

からです。

そしてその日本全国どの病床もすべからく「満床」を目指して運営されていて、その要員としてあなた達が「別枠」にラベリングした人がカウントされていくわけです。

 

 

果たしてそれで、国民みんなが健康で幸せな社会が実現するのでしょうか?

 

今もう一度、日本の医療の原点にかえって、「社会的寛容」の精神を思い出してみませんか?それは、「責任や原因にかかわらず誰でも救済する」という精神です。

しかし救済の仕方は「入院」だけではありません。医療を提供しない「社会的」な救済の方がはるかに役立つことだって大いにあるのです。


医療は日本国民の健康で幸せな生活のために存在するのであって、「病院の経営を維持するため」にあるのでも「社会的排除の受け皿」としてあるのでもないのですから。

 

 

今回は、安田純平さんを「別枠の人」と考えて「自己責任」として「排除」してしまう考え方と、それが社会に広がっていく背景で進行する社会の実情・・について写真とデータを交えて考えてみました。

 

 

でも・・この僕の考え方、
今の世の中ではちょっと突飛かもしれませんね(^_^;)

皆さんはどう思われるでしょうか。

 

 

(タイトル写真は日本テレビ News24 より) 

 

 

 

 

(補足)

 

こういう話をすると、よく

  

「もう日本の医療費は限界で、みんなを救済する余裕なんかない!」

 

と言われます。

 

でも考えてみてください。都道府県の医療費に1.8倍もの差がある状況(しかも健康度には差がない)で本当に「もう限界で余裕が無い」と言えるんでしょうか。

 

もっと全国で計画的に医療を提供したら、ものすごい額の医療費が節約できる可能性があるのではないでしょうか。

 

そうやって、本当にシステマティックに考えて本当に限界まで達したら、そのときは国民全員でまた議論すればいいと思いますが、まだ全然そのレベルではないのに「限界」というのは早すぎやしませんでしょうか?

 

 

 

f:id:mnhrl-blog:20170316073204j:plain 森田 洋之 

1971年横浜生まれ。経済学部卒後、医師に。夕張市立診療所の元院長。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だったよ!医療費も減ったよ!と論文やTEDxで発表したところ各界から総スカンを食らう。今は鹿児島県でフリーランス医師。懲りずに執筆・講演・研究・web発信など儲からないことばかりやっている。日本内科学会認定内科医、日本プライマリ・ケア連合学会指導医。鹿児島県 参与(地方創生担当) 

 

 

 


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「破綻からの奇蹟 〜いま夕張市民から学ぶこと〜 」

 

 

 

★★★2016年度 日本医学ジャーナリスト協会 優秀賞受賞作品★★★

 

 

財政破綻・医療崩壊・さらに高齢化率日本一。

悪条件に取り囲まれてしまった夕張市。

 果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。

 破綻後に医師として乗り込んだ筆者は、

それでも夕張市民が笑顔で生活していたことに驚く。

事実、財政破綻後のデータは夕張市民に健康被害が

出ていないことを示していた。

 

 「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」

 

 もしそれが事実なら、一体なぜなのか?

 本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と

生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。

 

夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、

また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、

夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。


少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。

本書は、医学的・経済学的な見地から

日本の明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。