Dr.森田の医療・介護ブログ

地域医療・家庭医療の医師&医療経済ジャーナリスト、Dr.森田が綴る医療・介護のブログです。







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医療による対応に限界が見えたとき、僕たち医師は何が出来るのだろう。〜社会的処方とは何か〜

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 写真はイメージです。

 

 

先日、療養病院(長期に渡って医療・介護が必要な高齢者が主に入院している病院)で当直をしていたら夜中に看護師さんから電話がかかってきました。

 

「患者さんが暴れています。鎮静剤を注射してもいいですか?」

 

物騒な話ですが…(^_^;) ま、病院では実際よくあることです。
病室に行ってみると、90代の女性患者さんがうめき声をあげながら、手を動かして手袋を外そうとしていました。どうやら点滴の管も抜いちゃった模様。

 

僕は当直の夜間対応のみ依頼されている通りすがりの医師ですので、この患者さんの顔も名前も全く知りません。聞けば、重度の認知症があり、食事摂取が徐々に減ってきたため先月胃ろうが作られたと。更に先週からは「尿路感染(膀胱炎などのこと)」をおこして、抗生剤の点滴で治療している、とのことでした。

 

で、点滴の管をすぐに抜くから手には手袋(料理用のミトンのようなもの)をつけられて、でもだんだん「尿路感染」の方は治まって、熱も下がってきて元気になってきたと思っていたら、今夜暴れだした…と。

 

僕は看護師さんに尋ねました

「なるほど…患者さんはどうして暴れているんでしょうか…?」

看護師さんは答えます。

「熱が下がって元気になったからじゃないですか?」

「元気な人はみんな暴れる?…あなたも元気そうだけど暴れてないよね」

「え?…ま、そうですけど・・」

 

こんな感じの会話をしながら、患者さんと同じ目線で、目を見てゆっくり、肩をさすりながら「どうしたんですか?」と話しかけたら、患者さんが小声で「これ(ミトン)・・」と。

 

僕は看護師さんに言いました。

「このミトンが嫌みたいだけど・・」

「でもミトンがないとまた点滴を抜くかもしれません。」

「じゃ、もう点滴抜いててもいいかもね。熱もさがってるし、抗生剤は胃ろうからの内服薬に変えていいんじゃない?」

「いいんですか?」

「ま、点滴がベストだけど、内服でもそんなに変わらないと思うよ。」

 

ということで、その場でミトンを外しちゃいました。

患者さんは涙を流して喜んで、スッと寝入ってしまいました。

もちろん「鎮静剤」の注射も必要ありませんでした。

 

ただ、残念ながら僕に出来たのはここまでです。

もしかしたらまた翌朝、主治医から点滴・ミトン継続の指示が出たかもしれません・・医学的に言えば、それまで奏功していた点滴の抗生剤を継続するのが正解でしょうから(…尿培養はでていませんでしたし -_-; )。

 

 

 

先日こんなこともありました。

80代の女性、かなり前に胃癌の手術で胃の2/3を切除。そのせいで食事が十分に入らず、徐々に痩せてきたとのこと。最近訪問診療の担当になった僕にはここまでに至る詳細な経過がわからなかったのですが、とりあえず現在は中心静脈栄養(首の下の太い血管に入れる点滴栄養法)と普通の食事を併用しながら、在宅生活をしています。いつも悲しそうに「もう生きていたくない」とつぶやくように言われる方でした。

 

聞けば、若い頃は保険の外交員を30年もやっていたバリバリのキャリアウーマンだったと。今は体もやせ細っていて声も小さくしかでませんが、頭脳は明晰で判断能力には一点の曇りもありません。

 

「胃ろう」という選択肢も当然浮かびます。ただ、これまでどういう経緯でここに至ったのかがわからないうちに、いきなり人生の大きな選択を口にするのもどうなのか・・など考えていたとき、

 

そういえば、なんで食が細いのか?

  ↓

ご家族も忙しいのでいつも一人で食事?楽しくが出来ていないのかも

  ↓

試しに僕らが一緒に食べたらどうかな?

 

と思いつき、彼女の好きなお寿司の弁当をコンビニで買っていって、訪問診療後にみんなでランチをしてみました。

すると、太巻きも食べるわ、おかずも食べるは、、なかなかの食事量。今まで見たことのないような笑顔を見せてくれました。やっぱり大勢でワイワイ食べると違うんですね。


医療的な処置にもまして、「孤独の解消」や「食事を楽しむ」という『社会的』な要素がいかに重要なのかを知ることができ、とても感激しました。

 

もちろん、医師は手術・点滴・飲み薬などの医療的ツールで患者さんに対応することが第一義でしょう。しかし、高齢になると医療による対応では限界がみえることもあります。それが患者さんの希望に沿っていることなのか?患者さんの幸せに貢献しているのか?そこまで考えると、我々が持っている「医療」というツールは、時にそれを阻害してしまうこともあるということを考慮しなければいけないでしょう。1例目の「点滴」にこだわるがゆえの「ミトン」はまさにその例と言ってもいいでしょう。

 

さらに言えば、僕らが得意とする「医療」というツール以外にも、患者さんの幸せに貢献できる方法があるかもしれない。「孤独」や「社会的孤立」は、特に介護が必要な高齢の方々にとって健康を害する大きな要素になりうる、僕は先述の2例目の患者さんからそのことを教わったと思います。

 

…しかし、ただでさえ忙しい医師が今回の僕のように「患者さんと食事をとる」ことまでしていては身がもたないでしょう。(ご飯時にそこに行けるか、という不確定要素もありますし。)

 

ただ、たとえ実際に現場で一緒に食事をしなくても、そうした「社会的」な視点を持っておくことはとても重要だと思います。事実、これは英国の医療システムではすでに『社会的処方 Social Prescribing 』として組み込まれていて、なんと医師の処方権になっているそうです。

 

つまり、患者さんの医療的な問題が「孤独」や「社会的孤立」から発生していることが予想されたら、その患者さんを「地域のコミュニティーにつなぐ」という処方箋を医師が発行し、それを受けた地域のNPOなどが実際に患者さんをコミュニティーにつないでいく、ということです。こういう「社会的」なことが医師の「処方箋」として扱われている、ということに驚きです。さすが『患者中心の医療』が発達している英国のシステムです。『社会的処方』については、僕もまだまだ不勉強ですので、これからも勉強しつつ紹介していきたいと思います。

 

 

そう、そんなこと言っている僕も決して偉そうなことは言えません。すべての患者さんに対して「社会的な視点」で見られているかといえば、まだまだですので…。今回は自戒を込めての投稿でもあります。

 

 

でもこんな考え方、今の医療現場ではまだまだ突飛かもしれませんけどね(^_^;)

皆さんはどう思われるでしょうか。

 

 

 

 

 

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