Dr.森田の医療・介護お悩み相談室

1971年横浜生まれ。経済学部卒後、医師に。夕張市立診療所の元院長。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だったよ!医療費も減ったよ!と論文やTEDxで発表したところ各界から総スカンを食らう。今は鹿児島県でフリーランス医師。懲りずに執筆・講演・研究・web発信など儲からないことばかりやっている。

「社会的共通資本」とは何か。【医療経済学の基礎知識】伝説の経済学者・宇沢弘文の偉業の要約的解説

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 先日のこちらのブログ、

  ↓ ↓ ↓

 

「〇〇〇が多い県は医療費が2倍 !? 〜京都大学経済学部・特別講義〜」

 

 

 

 ありがたいことにFacebookシェア 17000と、かなりの反響を頂きまして、同時にいろいろとご意見もいただきました、ありがとうございました。 

 

 この記事の趣旨は、こちらのグラフ「人口あたり病床数」と「県民一人あたりの入院医療費」の関係、

 

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(平成22年時点の事実として、病床の多い県は病床の少ない県の2倍も県民一人あたりの入院医療費を使っているという関係性が見える。 出展:神奈川県HP http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f450232/p1009620.html

 

 

…から、医療というものを根本的に考え直してみよう、という問いかけだったのですが、まあ、内容が内容だっただけに、、まあいろいろと(主に医療従事者の皆さんから)ご意見とご批判をいただいたわけです。

 

それでは、医療従事者の皆さんの視点からではなく、経済学の視点で考えるとこのグラフはどう説明されるのか・・?

果たして現代経済学の巨人・宇沢弘文先生はどう考えるのか・・?

 

 と、思いまして、宇沢先生の著書「社会的共通資本」その他の著作を読みこんでみました。で、『なるほどな〜』と思うところがあったので、(これまた経済学の方々には怒られそうですが)勝手ながら「社会的共通資本」の要約と勝手な解説を、前述のグラフの意味も交えながらやってみようという、今回はそんな試みです。

 

 

社会的共通資本 (岩波新書)

社会的共通資本 (岩波新書)

 

 

 

 ちなみに、宇沢弘文先生はこんな方です。

 


宇沢弘文(1928-2014)

 

 東京大学大学院で数学者として研究していた時、「日本の社会がこれだけ困窮しているのに、ひとり数学を勉強しているのは人間として苦痛」と経済学に転向。得意の数学を活かし、計量経済学の分野で名を馳せる。36歳でシカゴ大学経済学部教授に就任(シカゴ時代の門下生のジョセフ・スティグリッツ、ジョージ・アカロフはノーベル賞を受賞している)。「最適成長論」や「二部門成長論」などで世界の経済学会を牽引し、世界計量経済学会会長に就任、ノーベル賞候補と目された。市場原理主義のシカゴ大学時代の同僚、ミルトン・フリードマン(ノーベル経済学賞受賞)と学術的に対立し、「過度な市場競争は、格差を拡大させ社会を不安定にする」と主張した。日本に戻ってからは、公害問題・環境問題などの先端に立つ。また、自らが牽引した計量経済学の世界が市場原理主義の方向に傾いて「貧富の格差」が広がってしまったことを憂い、「人間のための経済学」「社会的共通資本」の必要性を説いた。享年86歳。(森田まとめ)

 


 

 以下、宇沢先生の言葉を元に、森田の勝手な注釈を付けながら要約的解説をしていきます。 (注:はすべて森田の個人的意見です。)

 

 

 

 

社会的共通資本とは

 

 20世紀は資本主義と社会主義の世紀であると言われている。資本主義と社会主義という2つの経済体制の対立、相克が世界の平和を脅かし、数多くの悲惨な結果を生み出してきた

 

 注:宇沢先生はもちろん資本主義の文脈の中におられる経済学者なのですが、マルクス経済学にもある程度の理解を示されていたようです。

 

 

 この混乱と混迷を超えて、新しい21世紀への展望を開こうとする時、「社会的共通資本」の考え方が重要となる。これは21世紀を象徴するものであると言っても良い。

 

 生産・流通・消費の過程で制約的となるような希少資源は、『社会的共通資本』と『私的資本』の2つに分類される。『社会的共通資本』は『私的資本』と異なって、個々の経済的主体によって私的に運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、社会的に管理・運営されるようなものを一般的に総称する。

 

注:その意味では医療はまさしく『社会的共通資本』に分類されていいでしょう。宇沢先生も医療を『社会的共通資本』と考えられています。

 

 

 社会的共通資本の所有形態は、たとえそれが私有ないし私的管理が認められていたとしても、社会全体にとって共通の財産として社会的に管理・運営されるものである。

 

森田注:今の日本の医療制度下では、医療法人・医療施設・医療機器などの医療資源は、私有・私的管理が認められています。しかし、それら私有の医療資源が社会全体にとっての共通財産として社会的に管理・運営されているか?については議論の余地がありそうです。

 

 

 社会的共通資本は、具体的には以下の3つ分類される。

①自然環境(大気・水・森林・湖沼・海洋・土壌など)

②社会的インフラ(道路・交通機関・上下水道・電力・ガスなど)

③制度資本(教育・医療・警察・消防・金融・司法・行政など)

 

注:つまり「医療」という分野は、『社会的共通資本』の中でも教育・警察・消防などと同じく『制度資本』に分類されるものだ、と宇沢先生は言っています。日本においては、例示されている教育・医療・警察・消防・金融・司法・行政などのうち、『医療』は私的所有と自由な運営が比較的認められている分野かもしれません。ちなみに、アメリカを除いたヨーロッパその他先進国では、『医療』といえば、public (公的)なものと言うのが一般的で、私有は認められないか、たとえ認められてもその運営には 警察や消防と同じように、"public" としての強い公共性が求められるようです。

 

 社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に支配されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。
 社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範に従って管理・運営されなければならない。

 

注:つまり、『社会的共通資本』を官僚的(社会主義的)な管理体制に委ねてもダメだし、逆に資本主義的な市場競争の淘汰の世界に委ねてもダメである、と。

 日本の医療制度の現状を考えると、医療施設・医療機器などについては私有と自由な運営が認められているものの、診療行為などの価格(診療報酬)は公定価格で全国一律に官僚的に決められており、つまり資本主義的自由市場と社会主義的管理が複雑に絡み合った制度となっています。

 宇沢先生はどっちもダメと言っていますが……それでは、何なら良いのでしょうか?

 それが『職業的専門家(集団)』、とのこと。医療も他の社会的共通資本と同様に、『職業的専門家(集団)』によって専門的知見にもとづき、職業的規範に従って管理・運営されなければならない、と。

 日本の医療において『職業的専門家(集団)』と言えば、『医師会』などがそれに当たるでしょうか。

 

社会的共通資本としての医療

 

 医療を「社会的共通資本」として考える時、「政府」はすべての市民が保健・医療に関わる基本的なサービスを享受出来るような制度を用意する責務を負うことになる。

  しかし、医師・看護師などの職業的専門家や医療施設・医薬品など、国民経済全体にとって利用しうる希少資源の量は限られたものであって、各市民の必要とする保険・医療サービスを無制限に提供することは出来ない。

 

注:『医療を無制限に提供することは出来ない』という主張は、宇沢先生のみならず、現場の医療従事者からもよく聞かれる主張です。事実、日本は人口あたり医師数が少なく(OECD33カ国中25位)。『コンビニ受診はやめましょう』とか『安易に救急車を呼んではいけません』などの主張は過重労働に疲弊した現場の医師から発せられる心の叫びだと思います。

 

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(2015 OECD staticsより)https://data.oecd.org/healthres/doctors.htm

 

 ただ、一方で前掲のこのグラフ…

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 これは、病床数が多い県(医療提供体制の整った県)の県民は、それに比例して入院医療費を使うという事実、を示しています。

 

 

 

 もし病床の多寡と医療費(=医療の提供量)が比例関係にあるのであれば、実は医師の疲弊を招いているのは「コンビニ受診」という患者サイドの要因にもまして「病床数」という医療提供サイドの要因の方が強いのかもしれません。

 

 また、世界的に見ても日本の人口あたり病床数は世界一。

 

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(2015 OECD staticsより)https://data.oecd.org/healtheqt/hospital-beds.htm

 

また、人口あたりのCT・MRIなどの医療機器数も世界一です。

 

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(2015 OECD staticsより)https://data.oecd.org/healtheqt/computed-tomography-ct-scanners.htm

 

 

つまり、

『医師数は少ないのに、ハード=病床・医療機器は非常に多い』

『日本国内においても、人口あたり病床数は非常に偏りが強い』

ということが言えると思います。

 

 こうしたデータを見ると、『(医師・医療施設・医療機器などの)「医療」という限りある貴重な資源を、日本全国民に対して適正な量だけ提供・配分出来ている状態』とはなかなか考えにくい状況ではないでしょうか。

 それでは、宇沢先生は医療をどう提供するべきと言うのでしょう。

 

 

 よって、何らかの社会的基準に従ってこの希少資源の配分が行われる。この社会的基準は、決して官僚的に管理されるものであってはならないし、また市場的基準によって配分されるものであってもならない。それはあくまでも、医療にかかわる職業的専門家が中心になり医学に関する学問的知見、医療にかかわる職業的規律・倫理に基づき管理されるべきものである。そのためには、同僚医師相互による批判・点検を行う Peers' Review などを通して、医療専門家の職業的能力・パフォーマンス・人的資質などが常にチェックされるような制度が整備されていることが前提となる。

 

注:前述の通り、官僚的な上からの管理でもダメ、市場原理に任せてもダメ、『医療にかかわる職業的専門家(集団)が中心になり、学問的知識と職業的倫理に基づき管理運営されるべき、と。

 

 その際重要なのは、

医師相互による批判・点検を行う(Peers' Review)ことが前提条件

とのことですね。 

 

 日本の医療を考えてみると、この点は大きな欠落と言っていいのかもしれません。日本において、医療機関や医師個人の診療の質、人的資質について医療機関同士・医師同士の相互批判・点検というものは殆ど行われていません。(あるとすれば、日本医療機能評価機構による病院機能評価ですが、これも義務ではなく罰則があるわけでもなく、医療界全体の相互批判・点検を行う(Peers' Review)になりえているかというと疑問です。)

 

 『いや、そんな相互チェック体制などでなくても、市場における自由競争に任せれば、診療の質が低い医療機関・パフォーマンスの悪い医療機関は淘汰され、良質な医療機関が適正な数だけ保たれるのだから大丈夫』というのは、ミルトン・フリードマンに代表される市場原理主義の学派が主張するところです。たしかに日本においては基本的に医療機関の開設は自由であり、自由開業制が採用されています。(病床のないクリニック開設は基本的に自由。病床のある病院については、現在は都道府県による病床規制があり都道府県知事の許可がないと病床開設はできないことになっていますが、その病床規制が行われる前は、自由に病床を設置出来ました。事実、1990年前後には『規制される前に増床してしまおう』という意図による『駆け込み増床』が全国的に行われ、その時代に現在の世界最多の病床数が形成されました。)

 しかし、前掲のグラフを見れば分かるように、県によって人口あたりの病床数が2〜3倍も存在している状況は、『質の悪い病院が淘汰されていない』日本の現状を示唆しています。しかもそれが医療費に強く相関している。これは『市場の失敗』の好例と言えるのではないでしょうか。(この辺は、津川友介先生の『なぜ医療に市場原理は通用しないのか?』で詳しく解説されています。https://healthpolicyhealthecon.com/2014/06/09/market-failure-in-healthcare/

 

 

 

 つまり、このような制度が整備された上で…

 

 

注:つまり

◯市場原理に任せるでなく

◯官僚的管理に委ねるでなく

◯『職業的専門家(集団)』の専門的知見にもとづき、職業的規範に従って、相互による批判・点検(Peers' Review)下のもとで『職業的専門家(集団)』によって管理・運営される

 このような制度が整備されることが前提条件で…

 

 

 

 その上で、実際にどれだけコストがかかったか、つまり保健・医療サービスの供給のためにどれだけ希少資源が投下されたか、によって「国民医療費」が決まる。これが国民経済全体から見て望ましい国民医療費となるわけである。すなわち、医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるのが、社会的共通資本としての医療を考える時の基本的視点である。このような視点に立つ時、国民医療費の割合が高ければ高いほど望ましい、という結論が導き出される。

 

注:上記のような理想的な条件が整った上で『国民医療費』が決まる、ということですね。それは、国がその上限を決めて恣意的に上げるとか下げるとか、そうしたコントロール下に置かれるものではなく、国民に信頼された職業的専門家が、国民に本当に必要な医療を、過不足なく自律的に自発的に決めていくものだ、ということでしょう。そうした時、『国民医療費は高いほうが望ましい』と言えるわけです。

 

 日本の医療の現状で言うと、先程のグラフ(もう再掲しませんが(^_^;))を見れば分かるように、医療の提供が市場原理でコントロールされるという幻想のもとで、医師の相互チェックもなく、医療の提供を好き放題行っている、というのが現状ではないでしょうか。(地域によって、病床数の多寡によって、1人あたりの入院医療費2〜3倍も差があるのは、その間接的な証左でしょう。)

 

 こうした現状は、宇沢先生が考えて居られた前提条件からは程遠いものかもしれません。そういう意味では、『国民医療費は高いほうが望ましい』という宇沢先生の発言だけを表面的にとらえ、結論だけをつまみ食いするのは厳に慎むべきでしょう。 

 

以下、まとめ。

 

 

 

 医師は純粋な意味で医学的判断のみに基づいて医療行為を行うことが要請される。価格に関する情報によって、医師の判断が影響されてはならない。その意味で、ミルトン・フリードマンが主張するような『医療サービスを市場的な基準に従って供給しようとする制度(医療サービス提供を市場的基準で配分しようとする制度)』は社会的に許容されるものではない。このような制度では、医師は利潤や個人の所得を最大にするように診療行為を選択することが前提となっているが、そうであれば、所得の高い患者の方が、所得の低い患者より大きな経済的便益を産むことは明白である。医師がこのような行動を取る時、医師としての資格は失われ、患者からの信頼もまた完全に喪失し、医療制度そのものも円滑に機能しなくなってしまう。

 

今、海外の富裕層を日本に呼び込んで医療でおもてなしするという『メディカルツーリズム』が流行っていますが、そういう市場的な基準で医療の提供が左右されるような世界は、宇沢先生的には本当の『医療』ではない、ということでしょう。『医師がこのような行動を取る時、医師としての資格は失われ、患者からの信頼もまた喪失し、医療制度そのものが機能しなくなってしまう』と、かなり厳しく批判されています。先生曰く、『医療』とはそうした市場原理に基づいた『産業』ではなく、警察・消防と同じ、国民全員が享受するべき安全保障としての『社会的共通資本』だと言っているのですから、ある意味当然かもしれません。

 

 

 つまり、医師に対する報酬は市場的基準に従うものであってはならないのだ。医師という職業にふさわしいと社会的に考えられる水準に、医師の報酬が定められなければならない。医師は様々な職種の中で最も神聖なものの一つであって、医師という職業にふさわしい と社会的に考えられる所得水準もまたそれに応じて高いものでなければならない。しかも、医師の報酬は大部分固定給的な性格を持ち、保険点数制度の前提となっているような出来高払い的な性格はできるだけ抑えることが必要とされるであろう。

 このような報酬制度は当然、医師が、その職業的倫理を明白な形で維持し、また専門家としての科学的知見、技術的習熟を持ち、優れた人間的資質の持ち主であるということを前提としている。そして、医師の診療行為に対して常に厳しいチェックが専門的並びに社会的になされているということが前提となることは言うまでもない。

 

 注:宇沢先生は、我々医師のことを本当に信頼して、尊敬してくれています。『医師は様々な職種の中で最も神聖なものの一つ』とまで言ってくれています。講演録などを読んでも、その絶大な「医師への信頼」を随所に感じます。

 

 東大で天才数学者と言われながら、『多くの人々がが困窮している時に、貴族的にのんきに数学などをやってる場合ではない』と突如経済学に転向されたり、自らがリードした世界的な計量経済学の流れが結局「格差社会」を作ってしまった、と市場原理主義を大々的に批判されたりと、どんなに輝かしい業績をうちたてても、その方向が間違っていれば自ら正す、自己否定することを全く厭わない、強烈な正義感を持たれていたのが宇沢先生だったのではないでしょうか。

 

 そんな宇沢先生に、『医師は様々な職種の中で最も神聖なものの一つ』とまで信頼されて、我々医師は果たしてその重責に耐えられるのか…。前掲のグラフを見たら宇沢先生はなんと仰るのか…。

 

 医師の末席の一人として、、その信頼を裏切らないよう、そしてその期待にしっかり応えられるよう頑張らないといけないな〜、と身の引き締まる思いが致しました。

 

  

 

 

 

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財政破綻・医療崩壊・さらに高齢化率日本一。
悪条件に取り囲まれてしまった夕張市。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。


破綻後に医師として乗り込んだ筆者は、
それでも夕張市民が笑顔で生活していたことに驚く。
事実、財政破綻後のデータは夕張市民に
健康被害が出ていないことを示していた。

「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」

もしそれが事実なら、一体なぜなのか?

本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と
生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。
夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。

少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から日本の
明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。

 

森田洋之 著

 

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