Dr.森田の医療・介護お悩み相談室

1971年横浜生まれ。経済学部卒後、医師に。夕張市立診療所の元院長。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だったよ!医療費も減ったよ!と論文やTEDxで発表したところ各界から総スカンを食らう。今は鹿児島県で診療・執筆・講演・研究・web発信などをしている。南日本ヘルスリサーチラボ代表、鹿児島県 参与(地方創生担当)

財政破綻後の夕張にたった一軒最後まで残った寿司屋が語る『人口減少の都市型社会でそれでも幸せに生きる』ということ。

 

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 夕張市内に、僕の大好きな寿司屋がある。夕張市本町の「寿司元(すしもと)」だ。ご主人はかなりのご高齢なのだが、いつもねじり鉢巻の半纏姿。暖簾をくぐると「いらっしゃい!」というハリとツヤのある声で迎えてくれる。ふんわり握られた赤シャリに新鮮な北海道のネタが乗ったその寿司の味は格別。お客さんの中には、引っ越して遠く離れてもその味を忘れられず、遠路はるばる夕張に通ってくる方も多いという。もちろん寿司元の魅力は味だけではない。ご主人の元気な声、奥さんの気の利いた会話、それらを聞きたくて僕は寿司元の暖簾をくぐるのだ。その日「寿司元」の引き戸を開けると、店内にはもうすぐ80歳になるご主人と、奥さんの二人が座っていた。

 

 
 
 
森田「お久しぶりです!」
 
ご主人「や〜、ひさしぶりだ。よく来たね〜!」
 
森田「今日はちょっとお話を聞かせていただこうと思って。」
 
ご主人「あ、そうなんだってね、取材だって?まあ、こんな爺ちゃんでよきゃいくらでも話してやるけど、何の話すりゃいいのさ。」
 
森田「あ、別に、そのまんまの元気なお姿が伝わればいいな〜、と思って。」
 
ご主人「そうね〜、元気っちゃ元気だけどね〜。もう79。そしたらすぐ80だもん。でもまだ寿司は握ってるし、車運転して札幌の市場に仕入れも行くし、配達も行くしね。やっぱ、市場へ行くと気合が入るね。先生方が現場へ入る時と一緒でさ、市場では血がたぎるんだね。」
 
森田「いや〜、本当に元気ですよね〜。もうすぐ80!凄いな〜。ご高齢で働いてる寿司職人さんもいるけど、市場の仕入れから仕込み・握り・配達まで、全部やってるって人はそういないんじゃないですかね〜。」
 
ご主人「そうだね。少なくともこの辺じゃいないね。・・でもさ、そんなこと言ったら、夕張市内に寿司屋はもううちだけだもんね。寿司出す店はほかにもあるけどさ、寿司専門はうちだけよ。」
 
森田「ちょっと前まで、この辺にも2〜3店ありましたけどね。」
 
ご主人「そうだね。みんなやめた。ウチが最後だ。もっと凄い時、寿司屋が一番多かったときなんか、こんな狭い谷間の街に、20店もあった。ちょっとまってよ。この前、昔の資料が出てきたんだ。ほら、見てみな。これ。昭和25年。懐かしい名前ばっかりだ〜。一つ一つの店、店主の顔から全部わかる、思い出せるけど。みんないろんな事情でやめたー。」
 
 
 
 

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森田「へ〜、夕張にこんなにいっぱい寿司屋があったんですね〜。驚きです。・・・で最後の一つが、この寿司元。・・あ、清寿司、米久、光寿司、福寿司は僕も知ってます。この辺はみんな最近までやってましたもんね。」
 
ご主人「そうだな。病気だったり何だり、みんないろいろだー。」
 
森田「夕張市の人口も減ってるし、寿司屋も減るのはしかたないですよね。」
 
 
 
 
 かつて夕張市は、北海道でも有数の先進都市だった。山の上の狭い谷間に人口12万がひしめいていたのである。しかし昭和30年台の約12万人をピークに以後人口は急速に減少。現在、9千人を割っている。
 
 
 

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出典:夕張市
 
 
 
 
ご主人「そうだな〜、いい時はいかったんだがな。人はどんどん減ってもさ、それでも賑やかなときだってあった。映画祭が凄い時なんて、こんな狭い店だけどさ、客があぶれちゃって。亡くなった岡本喜八さんなんか、最初来た時ここ(カウンター)に座ってさ、こう何も言わないでず〜っと黙って。一口寿司を食べたら突然『う〜ん、うまい!これが寿司だ!』って口を開いたのさ。やっぱり言葉に重みがあるよね。・・そして、映画とかのああいう人たちはみんな若いし元気だから、朝まで呑んでくもんね。映画祭期間中はここも朝まで満員さ。凄かったよ。財政破綻後も2〜3年はまだ良かったけどね。今じゃ、映画祭ったって大して客もこないもんな。予算だって減ってるんだろうし。」
 
 
 
 夕張国際ファンタスティック映画祭は、夕張市内で行われる映画祭。以前は夕張市からの援助もあったそうだが、今はそれもなく、それでも有志によって毎年冬に継続して行わていれる。「寿司元」のある夕張市本町は、映画祭の会場があり、映画祭期間中は大きな賑わいとなる。かつては、寿司元にも、山田洋次監督、クエンティン・タランティーノ監督、高倉健、島田陽子など、大物監督、俳優が詰めかけたという。
 
 
 
森田「ですね〜。昔は凄かったってみんなに聞きますけど・・。でも映画祭は、もう人口が減ってしばらくして始まった話ですよね。そういえば、ご主人は、いつ夕張に来たんですか?生まれは札幌でしたよね。」
 
ご主人「そうだ。昭和10年、札幌生まれ。札幌の本屋の三男坊さ。三男坊だからさ、商業高校出たら「寿司屋になる」って東京の根津の寿司屋に丁稚奉公。そんで19で札幌に戻ってきて・・夕張に来たのはそのあと、25歳のときだね。夕張で結婚して、そっからずっと夕張さ。ここに店構えたのが、あの北炭の大爆発(昭和56年)の翌年。だからここでもう33年か。あの爆発の時は、兄貴から何からみんな心配して電話してきて「夕張で店なんか出して大丈夫か?」って。財政破綻の時もそうだ、「夕張大丈夫か?」って言う。でもだからこそ踏ん張り効かせてさ。借金も返してな。体だってさ、いろいろガタがきてるけどね。なんもなんも(=大丈夫)、踏ん張りで頑張れるんだー。頑張んなきゃ食えないし(笑)」
 
森田「足も悪いんですよね」
 
ご主人「そう。両膝、両足首もう8回も手術した。カネ(人工関節)も両膝含めてどこそこ入ってるしね。最後の手術は73歳か。手術の後はガッタンコ・ガッタンコしながら、それでも、結局、杖はつかなかったもんな。やっぱ仕事がリハビリだよ。座って寿司なんか握れないからね。ここの中で立って、お客さんの前で寿司握る。それがリハビリさ。あとは、自転車ね。配達やらなんやらで自転車なんか乗ってモモの筋肉つけてけば、どんどん良くなっていくもん。ラクしたいとか、やめたいとか一回も思ったことないね。」
 
森田「経験者のお言葉は重みがありますね〜。しかも、80手前の方ですからね〜。…でも、おふたりともご高齢だし、大きい病院もなくなったし、いろいろ心配もあるんじゃないですか?」
 
 
ここで奥さんが話に入ってくる。
 
 
奥さん「ないね。隣のSさんもそうだったけど。」
 
 
 
 Sさんは、元気に独居生活されていた80代男性。奥さんを癌で亡くされ(市立診療所で看取った)その後しばらくは気落ちされたが、体調はよく、僕も町内会などの宴席で何度も同席し、盃を交わしていた。数年前の夜、自宅で脳卒中を発症、翌朝ご近所の方に発見されすぐに救急搬送(ご近所さんから診療所所長時代の森田の携帯電話に直接電話が入り、救急隊と一緒にドクターヘリへ繋いだ)されるも、搬送先の病院で亡くなられた。寿司元の店先に救急車が停まったので、寿司元の奥さんには、その時も救急搬送の援助をしていただいた
 
 
 
奥さん「Sさんだってさ、元気だったのに急に倒れて、朝すぐに気がついたからいいけど。・・先生(森田)も来てくれて、救急車(からドクターヘリ)で札幌に運んだけど長くはもたなかったもんね。アタった(脳卒中)のかい?もうその時は意識なかったもんね。寂しいけど・・・でもいいんだ。そんなで長く生きるより。あたしらだってそうさ、いつどうなるかわからないけど、そんなで長く生かされたくない。知ってる人で5年寝たきりの人がいるけど、その人の奥さんなんかえらいね。泣けてくるよ。私だったらすぐ離婚するね(笑)。そういう(胃瘻栄養などの)人はまた顔色がいいんだよね。」
 
森田「そうですね。栄養たっぷりだから。」
 
奥さん「人間、いつかは死ぬんだから、Sさんだって生きてる時あんなに元気だったんだ。だからそれでヨシとしないと。あたしたちだって、もう歳だから、何があるかわかんない。大きい病院で治してくれりゃいいけど、この歳で倒れて救急車で病院行って、治って帰ってきてピンピンしてる!ってそんな人いないよ。だいたいヨイヨイか、寝てるか、だ(笑)。」
 
森田「…ははは(笑)。でも、突然の脳卒中とかではなく、認知症だったり老衰だったりでだんだん弱ることもありますよ。」
 
奥さん「まあ、Sさんみたいにコロッと逝けたらいいけど、そうでなくいよいよ介護になったら、どっか施設に入るさ!(笑)。清光園(特別養護老人ホーム)なんか、知ってる馴染みさんも多いから、いいさね(笑)。」
 
ご主人「でも今はいいよ。隣に若い家族が入ってさ。子供も3人居て。そんで、ウチが足腰悪いの知ってるだろ。『いいよいいよ、やっとくよ』って雪も下ろしてくれてなー。本当にいい人が入った。そんなしてみんな親切にしてくれてな。そういう意味じゃ俺は恵まれてるな(笑)。」
 
森田「いやいや、ご夫婦のお人柄だからだと思いますよ(笑)」
 
 
 
 「お人柄だから…」社交辞令のような台詞だが、僕はその時、心の底からそう思っていた。夕張のような暖かな地域社会の中で生活したことのなかった都会育ちの僕は、寿司元のご夫妻のお話を聞くたびに、『人は地域の中で生き生きと生活するから輝くんだ』ということを実感させられた。
 先進医療の恩恵を享受しながらも、それに依存するわけではなく自分の生活の中でしっかりとリハビリをして筋肉をつける。隣人の突然死をもしっかりと受け入れ、しっかりとした死生観のもとで財政破綻・医療崩壊の地で生活を継続してゆく。さらに新しい世代も巻き込んで、地域を形作っていく。その意識の高さ、その姿こそが「お人柄」なのではないだろうか。寿司元のご夫妻の「お人柄」があるからこそ、地域全体が元気になるし、またご夫妻も元気なのだろう。また、だからこそ僕も、「寿司元」のご夫妻が大好きなのである。
 
 
 
 
 
 インタビュー平成26年2月
 

 

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森田 洋之 

1971年横浜生まれ。経済学部卒後、医師に。夕張市立診療所の元院長。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だったよ!医療費も減ったよ!と論文やTEDxで発表したところ各界から総スカンを食らう。今は鹿児島県でフリーランス医師。懲りずに執筆・講演・研究・web発信など儲からないことばかりやっている。日本内科学会認定内科医、日本プライマリ・ケア連合学会指導医。

 
 
 

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財政破綻・医療崩壊・さらに高齢化率日本一。
悪条件に取り囲まれてしまった夕張市。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。


破綻後に医師として乗り込んだ筆者は、
それでも夕張市民が笑顔で生活していたことに驚く。
事実、財政破綻後のデータは夕張市民に
健康被害が出ていないことを示していた。

「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」

もしそれが事実なら、一体なぜなのか?

本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と
生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。
夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。

少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から日本の
明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。

 

森田洋之 著 

 

 

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