Dr.森田の医療・介護お悩み相談室

1971年横浜生まれ。経済学部卒後、医師に。夕張市立診療所の元院長。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だったよ!医療費も減ったよ!と論文やTEDxで発表したところ各界から総スカンを食らう。今は鹿児島県で診療・執筆・講演・研究・web発信などをしている。南日本ヘルスリサーチラボ代表、鹿児島県 参与(地方創生担当)

まさか認知症?…疑い始めから最期まで、家族が忘れてはいけない3つのこと

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1,『医療の正解』が必ずしも『本人の正解』とは限らない

2,だからこそ『最期まで笑って楽しく暮らせる』ことを目標に

3,『ご本人の思い』に耳を傾ける

 

 

お悩み相談

 

 40代の薬剤師(男性)です。

郊外で夫婦二人暮らしをしている母の物忘れが最近ひどくなってきていて困っています。

 

本人は医者嫌いで、逆に医者に行かない丈夫な体を自慢するくらい身体的には元気です。

身体が元気なだけに、今後認知症が進行した場合、徘徊したり暴力的になったりすることを心配しています。

高齢の父はその介護負担にたえられないと思います。

いまのうちから抗認知症薬で認知症の進行を抑えないと…と焦るのですが、

本人には全く自覚がなく、医者嫌いなので診断も治療もできていない状態です。

 

こんなとき、どんなアプローチをすれば早期診断・早期治療に持ち込めるのでしょうか。

 

登場人物

 

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森田先生:地域医療・高齢者医療を中心に活動している医師。40代。

 

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Yさん:2人の子を持つ30代専業主婦。元病院看護師。

 

 

 

森田「今回のお悩みは薬剤師さんから、お母さんの認知症についてのご相談ですね。」

 

Yさん「う〜〜ん、こういう状況は日本全国で山ほどありそうよね。薬剤師さんだからこそ、早期診断・早期治療の重要性をよく知ってるのね。」

 

森田「そうですね。早期診断・早期治療は認知症にとってとても重要です。でも今回はチョット別の視点からも見てみたいな〜、と思いますが・・」

 

Yさん「え〜、早期診断・早期治療の話じゃないの?だって、確か厚労省も、なんとか学会でも、認知症は早期診断・早期治療が大事って言ってたわよ。え〜と・・(スマホで検索)ほらここ!→厚労省"認知症の診断・治療" http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/dementia/a03.html

 

森田「ま、そこも含めてね。」

 

Yさん「え〜?、なんかよくわかんないけど…。」

 

森田「まあまあ、それではYさん。今回お悩みの薬剤師の方のお母さんの件、どんなことを目標にしたいですか?」

 

Yさん「目標?…そうね〜、認知症は、なかなか治らない病気だけど、この場合はやっぱり進行を出来る限り遅らせたいわよね〜。そのために、できるだけ早く診断・治療を始めたい、でもうまくいかない。…だからこそこの薬剤師さんは焦ってるわけだし。」

 

森田「じゃ、目指すべきは『進行を遅らせる』ってこと、でいいですか?」

 

Yさん「だめなの?」

 

森田「そうですね。医療の立場から見ればそれで100点だと思います。…医療的にはね。」

 

Yさん「なに〜?医療的には、って。もったいぶった感じ〜!他に何があるのよ〜。」

 

森田「いや(^_^;)、たぶん、医療的正解とは別に『患者さん一人一人にそれぞれの正解』もあるのかな、と。」

 

Yさん「またわけわかんないことを。」

 

 

 

 

1,『医療の正解』が必ずしも『本人の正解』とは限らない

 

 

 

森田「つまりね、認知症を病気、という側面で捉えれば、その治癒、もしくは進行を遅らせるという方針は間違いなく正解ですよね。」

 

Yさん「そりゃそうですよ。」

 

森田「じゃ、Yさん。Yさん自身が今、医師から『あなたは認知症ですよ』と言われたら、どう思います?」

 

Yさん「え〜?そりゃイヤよね…。ウチは子供もまだ小さいし…うん・・多分、かなり落ち込んで…立ち上がれないかも。」

 

森田「ですよね。今回のお母さんの場合も同じじゃないでしょうか。特に今まで医者いらずで、元気な人です。いきなり知らない病院に連れて行かれて、血液検査とか脳のMRIとか体中すみずみまで検査されて、その上初めて会う医者に『あなたは認知症だから早く薬を飲みなさい』なんて言われて薬を飲まされたら、それこそ絶望的になって、うつ病になっちゃうかもしれない。」

 

Yさん「う〜ん、そういう話か…。」

 

森田「これ、結構大事な話で、実はよくあることなんです。医療的な正解はとても大事なことですが、一心不乱にそれだけを考えてると、なにかチグハグなことになっちゃう。」

 

Yさん「じゃ、どうしたらいいの?」

 

森田「そうですね。まず方針設定ですが、この場合、『進行を出来る限り遅らせる』というのは一旦置いておいて、『お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる』みたいなイメージを持ったらどうでしょう。」

 

Yさん「また漠然とした・・」

 

森田「たしかに漠然としていますが、ここを目指すと、結構やることが明確になって来るんですよ。」

 

Yさん「どういうこと?」

 

 

 

2,『最期まで笑って楽しく暮らせる』ことを目標に

 

 

 

森田「そうですね。じゃ、さっきの悪いパターン、絶望して『うつ病』までなっちゃったパターン、なぜあんなことになっちゃうのでしょうか。」

 

Yさん「・・・う〜ん、ま、チョット強引だったかな?」

 

森田「そうですね。この場合、『医療の正解』にこだわるあまり、なにより重要な『ご本人の思い』がないがしろにされちゃったんだと思います。実は、こうして『ご本人の思い』より『医療・介護から見た正解』が優先されてしまうこと、現場では決して少なくないんですよ。特に高齢者医療や認知症医療では。」

 

Yさん「え〜?そうなの?」

 

 

 

3,『本人の思い』に耳を傾ける

 

 

 

森田「…ここは重要なところですので、この事例とはちょっとズレますが、他の事例を見てみましょう。

 

事例

 

ある高齢で寝たきりの女性。声帯が炎症を起こし『気管切開しないと、いつ窒息するかわからない』と耳鼻科の先生から言われました。

 

ご家族・看護師さんは、落胆しながらもその運命を受け止め、心の準備と、気管切開に向けての算段をしていました。

 

でも、気管切開という医療技術は、彼女の老化の過程を逆回ししてピシャっと元気にしてくれるものではなく、あくまでも空気の通り道を確保するだけの姑息的な技術。

 

声を失い、苦痛を伴うこともある。でもそれをすれば救命できる命もある。

 

Yさん「うわ、これは厳しい状況ね・・・で、どうなったの?」

 

森田「この時私はご本人に「ノドに穴を開けるのはどう思う?」と聴いたんです。そしたら患者さん、今にも泣きそうになりながら「イヤ」と。「死ぬかもしれないけど・・それでもいいの?」と聴くと「それでもいい」とカタコトながらおっしゃられました。どうやら、気管切開のこともそうですが、自分の意見も言えずに治療方針がきまっていきそうな、その状況自体もとても怖かったようです。

 

Yさん「…それは、たしかにそうかもね…。もし自分だったら…いや、ちょっと想像できないかな〜。でもさ、そんな風に本人の思いを聞いていたら、救える命も救えないんじゃない?」

 

森田「そうですよね。それをすれば救命できるかも…、でも本人は本心からそれを望んでいない…さあこんな時、医療従事者はどうすればいいのでしょうか。」

 

Yさん「え〜?私に聞かれても…。」

 

森田「そう…正解なんてないんです。仮に医療的な正解はあったとしても、患者さんの人生の正解は千差万別。患者さんひとりひとりの思いが正解なのかもしれませんよね…。」

 

Yさん「そうかもね〜、で、この方はその後どうなったの?」

 

森田「結局この時は、この患者さんの思いを出来るだけ尊重して、気管切開をしないでギリギリまで様子を見よう、ということになりました。そしたら患者さん、ケロッと良くなって・・・・今では口から食事も出来るくらい回復されています。」

 

Yさん「へ〜!すごい!良かったわね〜!」

 

森田「…でもね、Yさん。この場合は結果オーライで、良かったのですが、この方、運が悪ければそのまま窒息して亡くなったかもしれないんですよ。」

 

Yさん「そうよね〜。」

 

森田「そうです。しかし!だからと言って『本人の思い』に耳を傾けなくていい、ということではないと思います。個人的には、自分の命の顛末を自分で決定したいと思う人の意見は尊重されてもいいのかな〜、そんな患者さんの意見も含めて、みんなでしっかりと『悩む』ことが大事なんじゃないかな〜、と思いますけどね。」

 

Yさん「たしかにそうかもしれないわね。」

 

森田「だって、ご高齢の方が多くかかる疾患、脳梗塞・認知症・心筋梗塞・がん・・・どれもこれも、盲腸の手術のように1週間でピシャッと治る病気ではありません。治療法はないけど、管をいれてとりあえず命をつなぐだけの対処法はある、とか、治療法は一応あるけど、やはり徐々に進行してゆく、とかそういう形ですよね。ご高齢の方々は、治らない病気を一つ一つ得ながら、緩やかに坂を降りていかれるのです。」

 

Yさん「なるほどね〜。」

 

森田「そう。たしかに現代の医療の恩恵は絶大で、我々は多いに感謝しなければいけません。ですが、その方法論『盲腸→有無を言わさず手術!』みたいな、医学的正解=完治=正義という図式を高齢者の医療に当てはめてしまうと…つまり、治らない病気を治そう!治そう!と最期まで頑張ってしまうと…最終的にはみんな管だらけで寝たきりに?ということにもなりかねません。」

 

Yさん「管だらけで寝たきりは…やっぱりイヤよね…」

 

森田「ですよね。もし、医療的正解=完治=正義という図式が成り立たないのであれば、

 

『ノドを開けて管を入れて長生きするよりも、たとえ命が短くなってもいいから最期までおしゃべりをしたい』というおばあちゃんが居たって、それも尊重されるべきだと思うし、

 

『俺は、おなかの胃ろうの管からでなく、鼻のチューブからでなく、最期まで口から食べたい』というお爺ちゃんが居たって、それはそれで尊重されるべきだと思うのです。

 

その「患者さんの思い」に耳を傾ける努力をせずに、「医療的な正解を行うことが本人のため」と考えてしまうのは、もしかしたら医療従事者の『思いあがり』なのかもしれないですよね…たとえそれが医学的には『正解』でも。」

 

Yさん「なるほどね〜、私がさっき、『認知症の目標は早期診断・早期治療で進行を遅らせることって言った時、先生は『医療的には正解だけど・・』って言ったのは、そういうことなのね。」

 

森田「そうなんです。認知症の治療薬でも最近は成績のいい薬が出てきましたが、それでも今後、認知症高齢者は700万人〜800万人にまで増えると言われています。結局、それなりに進行を遅らせる薬はあるけど、今のところ完治可能な特効薬はない、ということです。」

 

Yさん「それは確かにそうよね。先生の言いたいことだいぶ分かってきたわ。決定的な治療法がないんなら、だからこそ『本人の思い』に耳を傾けよう、って言うことね。」

 

森田「そうなんです。『本人の思い』は最も重要です。それは、気管切開のような終末期の話でなく、認知症の早期の段階からも同じです。早くから施設に入ってそこで友達を作りたい人もいれば、やっぱ最期まで自宅がいいという人もいます。ついつい、その『思い』以上に、家族がチョット調べて選んだ施設に、周囲の状況を固められて反対も出来ずに入居…なんてことも多いですもんね。同じ鍵のかかった施設でも、自分で進んで入ったのと、知らないウチに入ることになっていた…この2つ、ご本人にとっては雲泥の差ですからね。後者は、えてして本来その後大変なことになることが少なくないです。」

 

Yさん「そうね。…まあ、なんか、大きな枠組み的な部分の話はわかったけどさ。で、結局この相談の方の場合、何をどうすればいいのかってところ、具体的にはどうなの?」

 

森田「いやいや、それはケース・バイ・ケースで、なんとも言えないです。だって、私はその方のお母さんがどんな思いで生きてこられたのか知らないし、どんなことを大事に思われているのかも知らない。」

 

Yさん「え〜!それじゃお悩み相談にならないじゃない!このブログ、そんなんでいいの?」

 

森田「いいんです。でも、この大枠の3つのことを心がければ…、たとえば最終目標の『お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる』というところを目指せば、そのためにはどんな環境が望ましいのか、どんな人達の助けが必要なのか、地域にどんな医療・介護資源があるのかを調べることになっていくでしょう。また、『医療の正解』が必ずしも『本人の正解』とは限らない、と考えれば、今後出会うかかりつけの先生がどのような考えで診療してくれているのか知るために一緒に外来受診に付き添うことにもなるでしょう。さらに、『お母さんの思いが大事』と思えれば、そうした過程の中で『お母さんの思い』をたくさん聞く機会が持てるかもしれません。もちろん、『お母さんの思い』と重なるのであれば、早期発見早期治療も大事です。でも、あくまでもそれは、『お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる』ための手段であり、そこを目的と考えてしまうのは、本末転倒なのではないでしょうか。そのちょっとした思い違いを繰り返していると、最終的に『ご本人が望んでいない』にも関わらず、『医療の正解』が優先されてしまい、体にいろいろな管が入っていく…ということにもなりかねないのです。」

 

Yさん「そうよね〜、市民アンケートを見れば『延命治療は希望しない』という人が圧倒的に多いのに、実際の病院では延命治療がたくさん行われてる。それって、本人の『思い』とか『幸せ』とか、そういう基本的なポイントを間違えちゃってるからなのかもしれないわね〜。」

 

森田「そうですね。こうして、長い時間をかけて、ご本人と一緒に歩んでゆくこと、共に悩んでいくこと、そこが大事なことなんじゃないかな、と思います。」

 

Yさん「う〜〜ん、たしかにそうかもね〜。でも、それって結構めんどくさいわよね。」

 

森田「そう、めんどくさい。でも、本当の幸せというものは、汗をかかなければ得られないんじゃないですかね。そう、デビッド・ワーナーさんのイラストの、左のから右の図へ。ですね。」

 

 

 

 

 

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(世界で一番読まれている医学書「Where There Is No Doctor(医師のいないところで)」デビッド・ワーナー著の一節。)

 

 

 

 

 

 

Yさん「まあ、分かるけど。でも、みんな忙しいからね〜」

 

森田「たしかに皆さん忙しいと思いますよ。でもどんなに言い訳したって、認知症介護の長い旅路では、いずれいろいろな決断をしなければならないときがやってきます。最初は、認知症の薬を飲むのか飲まないのか…その後は、どこで生活をしたいのか…病院?施設?それとも自宅?最終的には、胃ろう・気管切開・中心静脈栄養などの医療処置をするのかしないのか…。そのたびに医療や介護の専門家がやってきて説明し、同意を求めてくる。そりゃ『医療の正解』が一番!ということにしておいて、その分野の専門家におまかせしちゃえば楽だと思いますよ。専門家はいろいろやってくれますから。でもそれって、まさにイラストの左の図ですよね。専門家が提示する医療から見た正解、介護から見た正解におまかせしちゃう。でも、そうした一般的な公式通りの解が本人にとっての幸せとは限らないのなら…本人にとっての正解が何なのかをわかってあげられるのは、長年思いを共にしたご家族しかいないんじゃないですか?…だからこそ、そのときに慌てないために日頃から

 

1,『医学的正解』が必ずしも『本人の正解』とは限らない

2,だからこそ『最期まで笑って楽しく暮らせる』ことを目標に

3,『ご本人の思い』に耳を傾ける

 

 この3つを重視して考えてもらえると、幸せになれるんじゃないかな〜、と思うわけです。」

 

Yさん「先生の言いたいこと、まあまあわかったかな。出来るかどうかは別として。」

 

森田「そうですね。出来るかどうかは別として、こういう世界もある、ということを知っていると、いざという時に考えるべきことが明確になってくると思います。では、今日はこれでおしまい。またご相談を頂いたら、この禅問答やりましょうね(^_^)」

 

 

 

 未来に残すべき
『価値あるアイデア』を。

 

 

 

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爺ちゃん婆ちゃんが輝いてる!
職員がほとんど辞めない!
施設で職員の結婚式も!
最期は家族のようにお看取りまで…

…辛い・暗いの介護のイメージをくつがえす
「あおいけあ」流介護の世界。
加藤忠相を講師に迎えた講義形式で展開
される講義の受講生はおなじみのYさんとN君。

マンガ・コラム・スタッフへのインタビューなど
盛りだくさんの内容でお送りする、
まさにこれが目からウロコの次世代介護スタイル。

 

超高齢化社会も、これがあれば怖くない!

 

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★★★★★★★★★

日本医学ジャーナリスト協会
優秀賞受賞作品(2016)
★★★★★★★★★

財政破綻により病院がなくなってしまった夕張市、
しかも高齢化率は市として日本一。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。
しかし財政破綻後のデータは、夕張市民に健康被害が 出ていないことを示していた。

事実、夕張市民は笑顔で生活していた。
「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」
それが事実なら、それはなぜなのか?

本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と
生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。

夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。

少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から
医療・介護・地域社会の問題を鮮やかに描き出し、
日本の明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。

森田洋之 著

 

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