Dr.森田の医療・介護お悩み相談室

1971年横浜生まれ。経済学部卒後、医師に。夕張市立診療所の元院長。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だったよ!医療費も減ったよ!と論文やTEDxで発表したところ各界から総スカンを食らう。今は鹿児島県で診療・執筆・講演・研究・web発信などをしている。南日本ヘルスリサーチラボ代表、鹿児島県 参与(地方創生担当)

そもそも『公立病院の赤字』は本当に『悪』なのか? 〜日本の医療費について真剣に考える:前編〜

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「経営崩壊病院ランキング!年間60億円赤字の病院も…損失補填は税金から!」(女性自身)

 かなりショッキングなタイトルの記事ですね。

「国民の税金を無駄遣いするな!」

というご意見が出てくるのも、もっともだと思います。

 

しかし、本当に公立病院の赤字は、それ自体が問題なのでしょうか。今回は、ちょっと別の視点からこの問題を考えてみようと思います。

 

ちなみに、この記事の元データは、実はこちらに掲載されています。

 

hospia.jp

(病院情報局さんは、厚労省・総務省などが発表する病床数や手術件数などいろいろなデータを見える化してくれるとても便利なサイトです。いつもお世話になっていますm(_ _)m

  

 たとえば、こちら病院情報局さんのサイトで、たとえば僕が住んでいる「鹿児島県」で絞り込み検索してみるとこうなります。

 

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 この表の『他会計繰入金』の欄をすべて合計すると52億円。これは県立・市立病院などの公立体病院に(主に税金から)支払われている繰入金の額という意味です。52億円、やはり大きいですね。

 ただ、そもそもが医療の世界の原資は殆どが保険料・税金など『みんなで出しあったお金』いわゆる公的資金です。黒字の病院は、ある意味『公的資金を上手に引っ張る(診療報酬を上手に取る)のが上手な病院』とも言えるでしょう。事実、多くの民間病院は赤字を出さずにうまく経営しています。(赤字出したら倒産ですもんね。)そしてその結果、県全体としての医療費は増えていきます。このグラフを見るとそれがよくわかります。

 

 

病床数(人口10万人当たり)と一人当たり医療費の関係  [概算医療費]

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出典:病床数の状況(平成25年度) - 神奈川県ホームページ

 

 

 

 これは、県民1人が1年間で使う医療費と、各県の病床数との相関関係を表したグラフです。

 

 同じような非大都市県である滋賀県と鹿児島県で比較してみます。県民一人あたりの年間医療費は滋賀県民が約25万円、鹿児島県民は約35万円!1人あたり10万円も多いのです。

 

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出典:同上

 

 

 これを仮に鹿児島県民170万人が1人あたり10万円多く使っていると考えると、10万✕170万人=1700億円となります。こう考えると、自治体病院の52億円の赤字が、とても些細な問題にも見えてしまいます。医療費全体で見れば、県全体で1700億円もの医療費が多く費やされているかもしれないのですから。

 

 ちなみに、上の表の鹿児島県の公立病院の病床数を全部足しても約2500床。民間病院もあわせた鹿児島県全体ではその10倍で約25000の床。公立病院は全体の1割で残りの9割は民間病院なのですね。つまり、上の病床数ー医療費のグラフを見て分かる通り『鹿児島県は全国で2番めに人口あたり病床数の多い県』なのですが、その殆どは民間病院なのです。しかも、公立病院は、その全体の1割しかない病床で、数多くの不採算部門(小児科、産科、救急医療、へき地医療など)を担ってくれています。そう考えると、52億円の赤字が…どんどん小さく見えてきます。

 

 もうひとつちなみに、実は医療費を多く使ったからと言って県民の健康度(健康寿命や平均寿命)にはあまり相関関係なく、事実、滋賀県民の平均寿命は男女とも鹿児島県民より長くなっています。

 

 とはいえ、ここからが最も大事なのですが、僕は、「だから悪いのは民間病院だ、公立病院の赤字はこのままでいい!」と言いたいわけでもありません。これは公立病院だけの話ではありませんが、医療費の多くの部分を占める高齢者医療(国民医療費が42兆円、うち後期高齢者医療費が14兆円、健保・国保等の前期高齢者分が4兆円、自己負担分まで入れると、大体医療費全体の45%くらいが高齢者医療に使われていることになります)で、延命治療などの国民の幸福に貢献しているのかどうか不明の医療が多く提供されている現実があるからです(追記参照:次回で検証します)

 

 つまり、公立病院だからいいとか悪いとか、民間病院だからいいとか悪いとか、そういう話ではなく、真に国民の幸福に貢献している医療であれば、、真に『成果』を出している病院であれば、どんなに赤字でも僕は国が支援すべきだと思うし、もしそうでないなら、どんなに経営が良くてもそこに価値はない。

 

 そもそも論で言うと、「医療」 って『国民の命と安全を守る』という言う意味では、「警察」や「消防」と同じ立ち位置です。「警察」が赤字で問題だ!という国民はいないでしょう。事実、英仏独など多くの先進国では、「医療」は公的存在です。医療機関の原資は殆どが公的資金、というのもその理由ですが、経済的理由を別にしても、そもそも医療機関は公立だろうが民間だろうが、基本的には「公的な存在」であるべきだと、僕は思います。

  

 あるヨーロッパの方が日本に来て、

 

「日本にはなぜこんなに病院の看板があるのか?患者を減らそうとは思わないのか?」

 

 と言っていました。

 

 

  経営管理(マネジメント)の神様・ドラッカーはこう言っています。

 

『公的機関に欠けているのは“成果”である』 

 

 

 

上記のグラフを見ると、病床数ー医療費の相関関係を見ると、とても「みんなを健康にして患者を減らす」という医療に求められる明確な『成果』を達成しているとはいいにくい状態ではないでしょうか。

 

これは医療経済学の世界では、『医療市場の失敗』と言われます。

 

 

 

 『医療市場の失敗』についてはこちら

   ↓ ↓ ↓

www.mnhrl-blog.com

 

 

 そう、この「公立病院の赤字!」という話は、「自治体病院はダメだ!」と悪者探しで終わりにしてしまうにはもったいない話なのです。「そもそも医療って何なの?」という根源的な問いにまで思いを馳せるべき問題じゃないかと思います。

 

 国の税収が50兆円、一方で国民が使う医療費42兆円の日本。しかも国の借金は雪だるま式に増えている。客観的に見て「持続可能な社会保障制度」には思えません。これまでの路線の延長ではなく、一旦「ゼロ」から考えてみたいですね。

 

 

 

 

 

追記)

 なお、医療費については高齢化率の多寡も考慮しなければなりません。高齢者が多く住んでいいる県はやはり医療費は多めに計上されるでしょうから。で、調べてみると鹿児島県は全国平均並みですが、滋賀県は全国でも有数の高齢化率低い県でした。そこで、今回は高齢化率の影響を除外するために「後期高齢者医療費のみ」を見てみます。すると病床の相関関係を見ても、ある程度の相関が見て取れます。

 というよりも、こちらのほうが県による差額は大きいですね。後期高齢や1人あたり、約40万円の差がついています。これについては、次回検討してみようと思います。

 

全病床数(人口10万人当たり)と一人当たり医療費の関係 [後期高齢者医療費]

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出典:同上

 

 

 

 

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財政破綻・医療崩壊・さらに高齢化率日本一。
悪条件に取り囲まれてしまった夕張市。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。


破綻後に医師として乗り込んだ筆者は、
それでも夕張市民が笑顔で生活していたことに驚く。
事実、財政破綻後のデータは夕張市民に
健康被害が出ていないことを示していた。

「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」

もしそれが事実なら、一体なぜなのか?

本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と
生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。
夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。

少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から日本の
明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。

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森田洋之 著

 

 

人口減少・少子高齢化、あなたの漠然とした不安を払拭する方法。

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人口減少・少子高齢

あなたの漠然とした不安を払拭する唯一の方法。

それは「すでにそうなっている地域で住民と一緒に汗をかいて生活すること」

不安は安心に変わります。

 

 

 

 


これは、「未来の年表」を読んで思ったことでした。

 

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

 

 


この本、とてもいいです。

このまま人口減少が進んだら日本の未来がどうなっていくのか、年代別にこと細かに書いてあります。

著者の言うところの「静かなる有事」が現時点ですでに始まっていることがよくわかります。

朝鮮半島もモリカケも景気も大事ですが、「人口減少・少子高齢化」は「100年かけて日本全国を緩徐に襲う津波」のようなもの。

瞬間風速はゼロに近いですが、このままなら100年後には日本の国の姿を激変させているでしょう。国という形式を維持しているかさえ危ういかも・・。

今みたいに・・「なんとなく知ってるけど、誰かがやってくれるでしょ」的な、呑気な態度を続けていたら、うちの子供達が中年になるころ(40年後くらい)、僕らの世代はそれを静観・放置した「戦犯世代」と言われかねません。

今のうちに、全力で取り組むべき課題だと思います。もう、現在の延長ではなく、ゼロ積み上げるくらいで考えないと!

 

 ただ、この本で触れていない部分、それは「現場感覚」と言うところでしょうか。実は、「離島・僻地」の中には、現段階ですでに人口減少の末の最終段階まで来ている地域がけっこうあります。

最盛期12万人の人口を誇っていたのに今1万人を割っている夕張市もそれに近い。鹿児島には人口20〜30人の島もあり、人口10人高齢化率100%の集落もあります。

 

 

 

もちろん、そういうところにはスーパーもコンビニも、公共交通手段さえ殆ど無い!・・(T^T)。

では、その地域の人々は今、ものすごく不幸なのか?と言われたら、それは違う。

彼の地での爺ちゃん・婆ちゃんはみんな楽しそうに笑っています。

孤立しがちな都市生活者よりも、『地域の繋がり』が強固な離島・僻地の人々のほうが元気にも思えます。

これは、人間の幸福と言うものが、アドラー心理学で言うところの「全ての悩みは対人関係の悩みである」というところに通じるものかもしれません。

 

そう、人間の幸福は、身近な人間関係・コミュニティーの中で「お互いの存在を認め合う感覚」(アドラーでいうところの共同体感覚=他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられること)にあるのであって、それは人口減少・少子高齢化とは別の問題(というか、そういう地域の方が共同体感覚は得やすい?)ということ。

 

冒頭の発言は、そんな現場感覚の部分を強調しておきたいな〜、と思ってのものでした。

 

 

 【補足1】

このことは、特に『地域のヘルスケア』に大きく影響します。誤解を恐れずに言ってしまえば、

「診察室に持ち込まれる問題の多くは、地域社会での孤立や地域の人間関係が遠因」

といってもいいと思います。

 

睡眠薬を欲しがるお爺ちゃんは、地域社会に馴染めず孤立し、日中殆ど外に出ていないのかもしれない。「産後うつ」になっているお母さんは、身近でちょっとした育児相談が出来る家族も友達もいないのかもしれない。

 

地域の方々と一緒になって雪かきしたり、灰掃除したり、飲み会したり、PTA活動したりしていると、その部分がよく見えてきますし、情報も入ってきます。だからこそ出来ることがあり、またこうしたことは診察室では決して見えてきません。

 

ということで、日本の未来に悩む若いドクターには、「診察室を出て、離島・僻地などの課題先進地で地域で住民と一緒に汗をかいて生活してみる」ことを強くお勧めします。(ご連絡いただければいろいろご紹介します)

 

 

 

【補足2】

ぼくはこの記事で「だから人口減少しても少子高齢化でも大丈夫だよ」という楽観論を主張したいわけではありません。

こんな悠長なこと言っていられるのも、日本が他国に占領されていない平和な国だからです。。。それこそ各個人の「幸福」とは別の問題として、『人口減少・少子高齢化』は国として対策を打たなければいけない。

じゃあ隣国ははどうなの?と言われたら、韓国も台湾も香港もロシアも合計特殊出生率(簡単に言うと女性一人が出産する子供の数)は日本(1.4くらい)より軒並み低い!わけで・・それなら大丈夫なんじゃない?とも考えられるのですが・・でも、実はあまり知られていませんが、アメリカ・フランス・スウェーデンなどは、1,8〜2.0くらいとすでに高水準に回復しています。中国も1.6〜1.7くらいらしいです。

 

 みんなで既得権を一旦放棄して、「子どもを作ると経済的に圧倒的に有利になる!」くらいの感覚を若者が持てるような国に、ゼロから作り上げたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

人口減少・少子高齢化ってこういうことだったんだ。

 

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人口減少・財政破綻・医療崩壊さらに高齢化率日本一。
悪条件に取り囲まれてしまった夕張市。
果たして夕張市民の命はどうなってしまうのか?‥。


破綻後に医師として乗り込んだ筆者は、
それでも夕張市民が笑顔で生活していたことに驚く。
事実、財政破綻後のデータは夕張市民に
健康被害が出ていないことを示していた。

「病院がなくなっても市民は幸せに暮らせる! 」

もしそれが事実なら、一体なぜなのか?

本書は、その要因について、先生(元夕張市立診療所所長)と
生徒2人の講義形式でわかりやすく検証してゆく。
夕張・日本・世界の様々なデータを鳥の目で俯瞰し、
また夕張の患者さんの物語を虫の目で聴取するうちに3人は、
夕張市民が達成した奇蹟と、その秘密を知ることとなる・・。

少子高齢化や財政赤字で先行きが不透明な日本。
本書は、医学的・経済学的な見地から日本の
明るい未来への処方箋を提示する希望の書である。

 

森田洋之 著

 

 

 

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医者を辞めたくなったことが2回あります。

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医者を辞めたくなったことが2回あります。


1回目は、療養病院で意識なく延命されている患者さん達が病棟を埋めている現実を見たとき。

それまで総合病院で胃瘻造設に精を出していた僕は、何も知らず得意げに自分の技術だけを追い求めていた自分が本当に恥ずかしくなりました。


当時「医療崩壊後」の夕張市で「住民に近い地域医療」を実践されていた村上先生に頼み込んで夕張市立診療所に勤務したのは、そうした「自分への負い目」もあってのことでした。

 

その後、夕張で勤務しながら東大大学院H-PACで夕張の医療崩壊前後のデータを集め分析していたときです。分析から、医療崩壊を堺に夕張市の高齢者医療費が低下していることが分かりました。

 

僕は興奮しました。医療技術の進歩や高齢化の進展に伴い世界各国で医療費の上昇に歯止めが効かないと言われるなか、夕張市民の「高齢者一人あたりの診療費」は減少したのですから!これはすごいことだ!と興奮したのです。

 

ところが僕はここで2回目のショックを経験します。この夕張の医療費減少についてメーリングリストなどで識者に意見を求めたところ、こちらのグラフを提示され、「病床が減れば医療費が経るのは当たり前だ」と言われたのです。

 

 

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それまでの僕は純粋に、「病人がいるから医療がある」と信じていました。しかしこのグラフを見れば、「病床がある分だけ病人が作られる」という、ある意味極論に達してしまいます。


高知県民は滋賀県民より2倍も病気になるのでしょうか(そんはずはない)。でも事実として高知県民は滋賀県民より県民1人あたり入院費を約2倍使っています。そしてそれは病床数に比例している…(平均寿命や健康寿命には比例しない)。

 

調べてみれば、日本の病床数は世界一。日本で最も病床が少ない神奈川県でさえ、アメリカ・イギリスの2倍の病床を持っているのです。

 

CTもMRIも世界一持っていて、さらに外来受診数も欧米先進諸国の約2倍で世界第2位…。

 

医師不足?それって供給過多なだけなんじゃない?その時、「医師誘発需要」「医療市場の失敗」という言葉を初めて知りました。

 

「医療市場の失敗」はこちら 

www.mnhrl-blog.com

 

 

 

 

日本の医療は一体何のためにあるのか…。僕は自分が医師であることが恥ずかしなってしまいました。そして医師を辞めたくなりました。

 

それ以来僕は医師としての仕事をある程度セーブするようになりました。国の貴重な財源から報酬を得ることに罪悪感を感じ始めてしまったのです。

 

今は、少しでも国民医療に役立てる仕事を模索しながら、診療半分・診療以外半分(行政の仕事・原稿執筆・講演など)くらいで仕事をしています。


でも僕は決して日本の医療を悲観しているわけではありません。

 

なぜなら僕は、夕張をはじめとした「医療資源の乏しい離島・僻地」でも、住民同士が支え合いながら元気に生活していることを知ることが出来たからです。

 

そして、そうした住民の近くで、「高度な病院医療」とは別に「生活を支える医療」を提供することの重要性を知ることが出来たからです。

 

僕は、夕張で医療費が減った要因は「病床が減ったから」にもまして「住民の近くで生活を支える医療」が整備されたからだと思っています。夕張では病床が激減した代わりに、村上智彦先生・永森克志先生のご尽力によって「生活を支える医療・介護」が整備されたのです。だからこそ、本人・ご家族の意志を尊重した「延命処置ありきではない」、本当の笑顔を生み出せる医療が実現できたのだと思います。

 

そういう意味では、「住民の近くで生活を支える医療」は今後訪れる高齢化社会にとっての救世主になりる存在だと思います。

 

いま、日本では「在宅医療」をはじめ、住民の生活に近い医療の姿が各地で模索されています。地域包括ケアシステムは、この流れのメインストリームです。

 

これは宇沢弘文先生が説かれた「社会的共通資本」としての医療により近づくものだと思います。

 

宇沢先生の「社会的共通資本」はこちら

www.mnhrl-blog.com

 

 

僕は、この「地域包括ケアシステム」の流れの中で、日本の将来ために、子どもたちの明るい未来のために、少しでもお役に立てる仕事が出来ることを目指して、今後も頑張っていきたいと思っています。